ここにしかない土で、僕にしかつくれない米を。

写真の世界で見つめた、ルーツ。

大学受験に失敗して浪人していた時、親から「勉強がダメなら農業をやれ」と言われて、家出したんです。たまたまその時期に写真に興味を持ちはじめたので、家出した先の東京でアシスタントをやりはじめ、そのままカメラマンに。プロとして生計を立てることになった写真の世界では、いつもオリジナリティが問われていました。自分にしかないものは何か。突き詰めて考えていくと、自分の生まれ育った土地や環境しかないと思いました。そんな気づきから、実家の写真を撮るようになったのが、29歳くらいのこと。あんなに嫌だった家を飛び出してから、10年後のことでしたね。
 写真を撮っていくうちに、以前は見えなかった家のことが見えてきました。神様が家の中にいて、一年中行事がある。400年続けてきた農業によって築かれた形や精神性を、美しいと思えるようになったんです。ところが、兄弟も公務員で農業を継ぐ人がいない。このままでは自分のルーツであるこの家が崩れてしまう。それが怖くて、自分にできることは何かと考えはじめました。僕がやってきたのは、写真というモノづくり。自分なりのアプローチで、農業というモノづくりに挑戦してみようと決意して、2009年に実家へ戻ることになったんです。

自分なりの、アプローチ。

農家としての主な収入源であるニラと並行して、父は米もつくっていました。ただ、米に関しては田植えや稲刈りも他の人にお願いしている状態。農家として「つくっている」とは言えないのではないか?そんな危機感から、米で自分のブランドをつくろうと考えました。数百年かけて築かれたこの肥沃な土地でしかつくれない米を。そんな思いをこめて、地域の名前の新波(ニッパ)から、「NIPPA米」と名付けました。無有機、無農薬で、農薬や化学肥料に頼らずに栽培し、栃木県特産の大谷石の粉末を撒いてみたり、試行錯誤しながら作品づくりに励んでいます。
 カメラマンとして培ったモノづくりへのアプローチを活かすことが農業をはじめる条件でしたから、僕の農業は「表現」であり、つくる作物は「作品」でなくてはいけません。米づくりへの僕なりのアプローチとは、経験に裏打ちされた父のやり方を一度解体してみることでした。これは、写真を撮る時とまったく同じです。例えば、卵の写真を撮る時には、まずその物体が本当に「卵」であるのかを疑い、その上でこれはたしかに「卵」であると確信できるポイントを押さえないと、卵らしい卵は撮れないんです。父の米づくりを疑い、一つひとつの行程を検証しながら、この土地ならではの味を一番表現できる方法を探っているんです。もちろん、検証した結果、父の方法が正しいこともあります。「なんで知ってるの?」と聞いても「昔からそうだから」としか言いません。伝統や経験って、それだけすごいものなんですね。

新波の、NIPPA米。

カメラマンとしては、依頼された仕事しかやっていませんでした。個人の作品をつくる、いわゆる作家活動をしてこなかったせいもあるのでしょう。今は農業の方が写真よりもクリエイティブな仕事だと感じています。自分の理想とする米を、自分の考えた方法で追求していく。それを美味しいと言ってくれる人がいる。そして、食べてくれた人の体をつくる仕事ですから。今はなるべく顔の見える関係の中で販売しているので、生産量はまだまだです。面積を広げたいという思いもありますが、不特定多数に大量に売れればいいってものでもないので徐々に増やしていければと思います。
 自信作だけを、美味しいと言ってくれる人に届ける。そうしていずれ、この土地の名前を持った「NIPPA米」というブランドが大きく育ったら、一緒につくりたいと言ってくれる人が出てくるかもしれない。僕の作品とともに、僕という人間のルーツであるこの地域を発展させていきたい。心の奥には、そんな想いも抱いているんです。

NIPPA米ホームページはこちら:栃木の美味しいお米NIPPA米

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