小さな街に起こした、大きな変化のはじまり。

天職との出会い。

専門学校を卒業してから18年間、「ゆーあい工房」という事業所で、知的障がい者の方の自立支援、就労支援の仕事をしています。

具体的には、木工作業でパズルや雑貨などの商品をつくり、お店での在庫管理やレジ打ちも含めた販売までを行ってもらう一連をサポートすること。

売上は木工作業の工賃として、利用者さんに還元していきます。今の仕事をするようになったきっかけは、「あんた勉強は苦手だけど気持ちはやさしいんだから、福祉の仕事とか向いてるんじゃない?」という母親からの一言でした。

特に将来の目標もなかった高校生の僕は、深い考えもなく専門学校に進学。ところが、福祉について学び、仕事をしてみると、「天職じゃないか」と思えるほどこの世界にのめりこんでいきました。

施設の利用者さんは精神状態も毎日のように変わりますし、理由も分からず怒りだすことも日常茶飯事。そんな人と人が接する難易度の高いコミュニケーションの先にある笑顔を見た瞬間には、とても大きな達成感があったんです。

自分が福祉の代表なんだ。

「とちぎ協働まつり」というのは、栃木市民の手づくりで実施され、あらゆる年齢・性別・職業の方が集うイベント。

「ゆーあい工房」では、毎年利用者さんのつくった商品を出店しています。そこでは本当にいろいろな業種、年齢の方と出会うことができるのですが、福祉施設の人間として接している中で、違和感を覚えるようになりました。

「福祉の仕事は大変でしょう」「福祉の仕事をしているなんて偉いですね」。何を言っているんだろう?僕たち福祉の当事者にとって、福祉の仕事はあくまで世の中に数多ある専門職のひとつ。
もちろん大変なこともありますが、それは他の専門職だって同じこと。他の専門職と同じように楽しさもあるのに、まるでボランティアのようなイメージで見られていることに気がついたんです。

不理解は、障がい者の方々が地域で活動する妨げにもなっていることでしょう。
では、どうするか。そもそも福祉に対する理解が進まない原因は、福祉業界の閉鎖的なイメージも影響しているのではないか。

だったら自分が「福祉の代表」として積極的に外に出て行き、オープンなイメージを広めていこう。そう考えるようになった時から、地域での活動範囲が劇的に広がっていったんです。

街づくりで加速的に広がった人脈。

まずは、協働まつりの出店者から市役所の地域まちづくり課とも面識ができた縁やお世話になっている先輩のお誘いで実行委員になり、活動が認められて昨年は実行委員長に。そして今度は実行委員長としての実績から、とちぎ市民活動推進センター「くらら」の理事にも就任。

一度広がり出したつながりには加速がつき、いくつかの街づくり企画・運営に関わることもでき、今では「蔵の街花火大会」の実行委員にもなりました。
これらの活動は仕事と離れたところで行っているため、自分が「福祉の代表」のつもりでも、それを前面に出すことはありませんが、松島という人間と福祉を完全に切り離すこともできません。

僕が外にでることで、福祉への注目がすこしは高まったのでしょうか。例えば、栃木市に婚姻届と出生届を提出された方に渡す記念品、成人式の記念品の制作を「ゆーあい工房」に発注いただけるようになりました。

こういった記念品を受け取った方々が「これは障がい者の方がつくったものなんだ」と気づいていただければ、福祉のイメージもすこしは変わるはず。売上は当然、利用者さんの工賃に反映されるので、障がい者の方の自立にもつながります。
こういった変化が表れているのはまだまだ一部に限られていて、地域全体への浸透には長い時間がかかることは承知していますが、地道な行動の成果が見えはじめたことは素直にうれしいですね。

こういった活動では、打ち合わせを含めた様々な付き合いも多くなるので、施設の職員には迷惑もかけていますが、地域への営業活動につながると理解して、応援してくれています。

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